スーパーライフフォースフィールド(という言葉について)のこと
私たちの(人の)意識には無限の可能性がある、という表現がよくなされます。
人は想い次第で何でもできる、という表現もされます。
そんなの精神論だ、と、いう人もいますが、一念発起した人の人生大逆転の大成功や、常識からすれば奇跡でしかない非常時(火事場)のバカ力が出て車を女性が持ち上げて我が子を助けた話し等の事実があるように、私たちは思っている以上にかなりすごい可能性を持っているのは間違いないでしょう。
カタカナ英語のスピリチュアルという言葉は、書籍メディアの分類項目では精神世界と訳されています。
私は、精神という言葉を、神の精髄=エッセンス・オブ・ゴッド、ととらえています。つまり私たちの精神は、私たちの中の、『神の精髄』なる領域、ということです。ですから人のスピリチュアリティを高めることは、一人一人それぞれの命に宿る『神の精髄』を磨き出すことで、それはそれぞれが生まれながらに授かっている創造の力の発動を磨き出すことだと思います。
私たちの命に宿る精神の無限の可能性が現実化させる事象は、無限である故に、私たちの視点から見た、肯定的なこと、否定的なこと、のすべてに渡っています。ですから私たちが怖れや不安や罪悪感や無価値感、恨み辛みや復讐心等の否定的な思いと感情にとらわれればその意識の質によって造り出される事象の元になる意識のエネルギーの種は、非建設的、非発展的、衰退的、であるような、自己とうい存在を廃退的で絶望に、そして存在としての生命の活性が停止する死に向かう否定的出来事を芽吹かせ現実化してしまいます。
存在としての活性が限りなく衰退していくような傾向のエネルギーを死に向かうエネルギーとすれば、その反対は活性に、生に、つまりライフに向かうエネルギーです。
この、強力な生命場、ポジティブに生きること(=ライフ)に向かう意識のエネルギーの質に支えられた(ライフオリエンティッドな)エネルギー創造のエネルギー領域(無限の可能性の量子場と表現してもいいと思いますし、日本の神話的表現であるなら、天之御中主之神、高神産霊之神、神産霊之神の造化三神の齋場と表現してもいいと思います)を、スーパーライフフォースフィールドと呼んでみました。
日常意識の認識領域から拡大した自己の視点を生じさせ、自己の存在意義や目的を肯定的なものとして認識できる意識の領域は、ハイアーセルフやハイアーマインドと呼ばれていますが、
このハイアーマインドの意識の領域は、私たちから怖れを無くすところに導いていきます。怖れは自己以外のものに容易く支配される意識を生じさせますが、怖れが少なくなり愛が回復すると、回復すればするほど自己の創造の力と、愛に基づいた自己の存在意義と主権の確立が成されていきます。
このハイアーマインドからの自己認識や自覚が十分な高見に行き着いて、安寧の深みに安住したところの意識と、それが持つ肯定的体験をより容易く創造する意識の領域が、スーパーライフフォースフィールドです。
フォースという言葉を使ったのは、この場には否定的な意識や体験をも、強制的癒やしと清浄化に転換していくパワーを生じる意識の領域だからです。
人は、このような創造のエネルギー領域と深くつながることで、自分の望むポジティブなタイムライン(世界線)を自己の体験の世界に創造することができます。
無限の可能性のある、創造エネルギーのフィールドにおいて、生命の活性、発展、弥栄に向かう気質のフィールドに自らを感応させることを、私たちは自らが自己に生じさせる感情や心情や意志やビジョンを発展的氣質のものを意識して選択することによって、行うことができます。
では、発展的氣質の感情や心情や意志やビジョンとはどのようなものでしょうか。
それは意識や魂の境地(振動や波動と表現されることもあります)が高まること、と言われるものです。
その第一に来るものは、自分がするあらゆる体験の最終的責任は(もしくは初発の原因は)自分自身にあるという認識を自己の体験に適用している広さと深さです。つまり自分を創造主と認めている領域の範囲と体験の質です。これが拡大すればするほど、人生の体験を自分以外の誰かのせいにするエネルギーが意識と魂からなくなっていきます。これを『人生を引き受けること』と表現します。人生を引き受けることが、私たちの意識や魂の境地、振動や波動を一番高める道(=方法)になります。
「『人生を引き受けると』、怖れや不安や、憎しみ、恨み辛み、嫉妬、無価値感、無意味感、権威との確執、罪悪感、従属願望、奴隷意識奴隷根性、発展的でない物事や感情への浸りこみや中毒、暗い物語りを生きることや自己犠牲やニヒリズムや誤魔化しや絶望、などを自己ステータス化すること」などが、なくなっていきます。
そうすると自ずと、ふと想い描くことは発展的なものになっていきますし、これまでの色々な否定的感情や否定的体験を、自己の意識や魂を改めたり、癒したり、修正したり、発展練磨させるための糧であったと認識できるようになって、それらに抵抗したり、それらを自分の望みに関わりなく無理矢理与えられた酷いことと認識したりすることがなくなり、受け入れることができるようになっていくような変化が生じていきます。
そして、意識や魂の境地を高める第二のものは、人生を引き受けると意識に生じる、赦すことや優しさなどの、裁きではなく愛に基づいた、物事を酷くしない気質のエネルギーを意志を以て選択することです。
人生を引き受けると、赦すことや優しさなどの、裁きではなく愛に基づいた、物事を酷くしない気質のエネルギーの意識や魂の氣質に占める量がだんだんと多くなっていきます。それを意志を以て選択し増やすことが、意識や魂の境地を高めます。
その氣質から現れる心情や感情やビジョンは、先ほど書いた、「『人生を引き受けると』、怖れや不安や、憎しみ、恨み辛み、嫉妬、無価値感、無意味感、権威との確執、罪悪感、従属願望、奴隷意識奴隷根性、発展的でない物事や感情への浸りこみや中毒、暗い物語りを生きることや自己犠牲やニヒリズムや誤魔化しや絶望、などを自己ステータス化すること」などが無い、発展的・建設的な未来の体験をすることや現実化させることを普通に憧れ望む意識になっていきます。
またそれらを妨げる自己意識や諦める自己意識を受け入れない意識を活性化する意志や、また他者からの、「そんなの無理に決まっているでしょ」というような自己の建設的発展と幸福を阻害する意識を受け入れずに跳ね返す意志が活性化されていきます。
意識や魂の境地、振動や波動を高める第三は、こういう体験をできたらいいね、こう成りたいな、こう在りたいな、などの望みやビジョンのレベルや質を、意識的にかつ穏やかに、かつ何となく頻繁に、高望みしていく回数を、一日の中に増やしていくことです。
高望みすることというのは、これまでの自分の延長で体験できると思っている範囲を越えた希望が叶ってもいいかと自分で自分に思ってあげる感覚で、これまでの人生の経緯、経歴、学歴、職歴、経験、才能、常識、人脈や人生の脈絡などから生じると思える範疇から非常識的に外れた未来が生じることを、本気で、非常識的に、穏やかに、それが叶っちゃったりして・・・と夢想するような感覚です。これが因果を解きほぐしリープさせます。奇跡的、ミラクル的、結果を体験のなかに導き込みます。
1、人生を引き受けること
2、赦すことや優しさなどの、裁きではなく愛に基づいた気質のエネルギーを意志をもって選ぶこと
3、穏やかに、何となく、頻繁に、高望みしていくこと
この三つは松果体などが存在する間脳の領域から延髄を通して脊椎の神経系を形態形成するために流れ込んで一体となっている意識体の氣質、振動を高いものにシフトさせ、それらに流れる氣を一氣に高いものに(ポジティブなイメージと愛の感覚のものに)していきます。つまりスーパーライフフォースフィールドとつながる意識波動を身体とその体験の場に導き生じさせます。
ここを流れるポジティブなイメージと愛の感覚は、否定的な体験によって造られていた否定的な感情や認識の歪みを積極的に清浄化したい願望を意識に生じさせます。そしてまた、それらの歪みが生じさせていた身体など否定的な状態や意識に生じたトラウマと、そこから造られた色々な過去世界でも繰り返し現れて来ていた否定的出来事はなくなる方向に進んでいきます。つまり、肯定的願望が達成された世界線がとても生じやすいようになります。
そしてまたそれは、体験を創造する造化機関としての、つまり個別の自己の体験を創造する創造主である存在としての私たち自身を自覚させる意識をさらに、だんだんと、目覚めさせます。